7日目

raisin2006-09-20


バチコヴォ僧院

郊外の山中にある修道院へ午前中に行き、午後は市内観光。
フロントでタクシーを手配してもらい、往復で2人あわせて45Lvになる。『地球の歩き方』では25Lvなので、30Lv台まで下げたかったのだが、友人がすぐに「OK」と答えたため交渉打ち切り。
プロヴディフから29kmらしいので30分くらいかと思いきや、途中から山道なので片道40分以上かかる。バスだとかなり時間がかかるのではないか。運転手は陽気なおじさんで、途中にある古い砦だとかを指し示してくれるのだが、英語らしき言語の訛りがひどく*1、なんとなく察するしかない。
僧院に着くと車を降りて中の案内もしてくれた。写真を撮っていいよ!と強く薦めるので、ブルガリアは僧院の写真は大丈夫なのかと思ったら、「No Photo」の大きな張り紙が。ニコニコして、撮れ撮れ、一緒に写してやる、と親切なのは結構なのだけれど。
芸術面でリラの僧院に次いで優れた場所だとあるのでかなり期待して行ったのだが、規模がまったく違う。とてもこぢんまりとした僧院。朝なので観光客もまばらだったが、ここが団体客でごったがえしたら、とてもイコンの鑑賞どころではなかろう。あっという間に見終わる。しかし山の中の修行の場として、静謐な空気をもった、いい場所だと思う。
僧院を後にした時点で、ほとんどの土産物店は開店準備を始めたくらいの時間帯。


 
駐車場に人なつこい犬。


メモがなく不確かな記憶だが、8時半くらいに出発して、10時半くらいに戻ってきたように思う。

ミュージアム・ハウス

ここで、ミュージアム・ハウスのある丘の一帯はそれほど複雑でもなく、スムーズな道順があり、中が見られる家の数もほぼガイドブックにある通りだと分かった。


■民俗博物館
入場料 5Lv/カメラ持ち込み 4Lv
建物の正面が絵はがきにもなっている、立派なお屋敷。建物自体も見応えあり。ガイドブックによれば「バロック様式」と「民族復興様式」が混在しているらしいが、「民族復興様式」がどんなものなのかが分からない。トルコに何度も行っている友人に写真を見せたら、トルコの様式によく似ていると言っていた。しかもこの屋敷の建築主は「イスタンブール出身」なのだ。もとより文化的な交流は古くからある両国なので、いちどきちんと知りたいものだ。
中は古い衣装や民俗遺産を展示している。もちろん、おもにプロヴディフのもの。
  


■ヒンディアン・ハウス
入場料 3Lv
ここで共通券が買いたいと受付に申し出るが通じず。壁に貼ってある料金表を指差しても「スリーレヴァよ」と言い張る。仕方なく通常の入場料を払う。
金持ちのお屋敷らしく、意外に中のつくりは広い。応接室ではなく、女性や使用人用(?)の部屋などが興味深い。どの部屋も天井が凝っているのがまた見応えあり。
ブルガリアのこの手のお屋敷は、1階が広い玄関ホールになっていて、2階に応接室などがある。このヒンディアン・ハウスは、各部屋の色も異なっていてとても凝っている。
ただ、立派なお屋敷なのだが、木造なのでやや老朽化を感じさせる。ブルガリアは木造文化なのだなー。
 
 
  


昼食
民俗博物館の近くにあるJanetで。
お高めの金額。
奥の方から「中国人だ...」みたいな言葉が聞こえてきてちょっと嫌な感じ。接客自体はきわめて普通だったが。
煮込み(豚、たまねぎ、マッシュルーム)、ショプスカサラダ、パン
チーズの独特の臭みにあきあきしていたので、豚肉に飛びついた。途中で飽きたけれど、なかなか美味しかった。


■歴史博物館
残念ながら改装のためしばらく閉鎖。仕方なく正面だけでも写真を撮ろうとするが、うまく収まらない。


■バラバノフ・ハウス
共通券 9Lv
ここでやっと共通券を買えた。「共通券」という名前のものはなく、1回券を3枚くれる。つまり、3カ所行ってチケットがたまったら、他もタダで入れるってことでは? 受付のお姉さんがキツい口調で「あなた英語分かるの?!」と聞くので「はあ、まあ」と答えたらとたんに対応がにこやかに。なんだそりゃあ。
1階は現代美術の展示がメイン、古い屋敷の内装は2階に残されている。
  


■ネドコヴィッチ・ハウス
行くと門が閉まっている。押すと開くので鍵はかけていない。
いきなり狭い前庭にはキャンバスがあり、現代アートが並べられている。あれ、と思っていると、珍しく客が来たというふうに受付の人がやってきた。入場券を確認すると、家の灯りをつけてくれる。
他に誰もいない中、ゆっくりと鑑賞。さりげない豪華さと保存状態などで、今回の家のなかではもっとも気に入った。
  
 


■ボヤジエフ・ハウス
せっかく共通券を買ったので、行くつもりはなかったここにも。家は近代的な作りで、とくに面白みはない。玄関ホールの様式や部屋の配置方法は他の家とも共通するが、全体が白でまとめられた極めてモダンな装飾。
内容はブルガリア現代美術界の大御所Zlatyu Boyadjiev(作品1作品2作品3)の絵画を中心に集めたギャラリー。現代美術には関心が薄いのだが、大きなキャンバスに力強く描かれた農民を主体とした絵は見応えがある。時代が時代だけに、テーマは共産主義民族主義も感じられるのだけれど、私などには単純にかつてのブルガリア農村の生活が見られて、とても興味深い。旧支配者層に抗う民衆というよりも、ブリューゲルのような田舎の生活の楽しみと生命力を感じる。
絵はがきでもあれば買ってもいいかなと思ったが、まるで商売気がなく、ラックに山ほど売っている絵はがきはどれも向いの土産物店でも売っているものばかり。この画家ボヤジエフに関するものなど高い本が1冊くらいか。受付のおばちゃんはずっと電話をしていた。
個人的には掘り出し物的な場所でした。


■ローマの円形劇場
友達との約束の時間まで大幅に時間があまったのと、共通券があるので行ってみる。音楽学*2を通り過ぎ、坂をのぼり、太陽が照りつける場所に出る。周囲をぐるりと取り囲むようにカフェテリアがあって、そこはだいたい学生に占拠されている。遺跡の中で犬の散歩をさせている家族もあり、入場料はどうなっているのか?


■共通券
共通券が対象としている場所は5カ所。
バラバノフ・ハウス、ヒンディアン・ハウス、ボヤジエフ・ハウス、ネドコヴィッチ・ハウス、ローマ円形劇場。
このうち最後の円形劇場は入場せずとも外から見渡すことができる。
いちばん最初から共通券を買わないかぎりは、とくにお得ということにはならない。私は1カ所を3Lvずつ、つまり1回券を購入して入場したのこと変わりないことになってしまった。
始めにこのチケットを見ることができれば、この丘の見所も、地理もよく分かった。


■聖エレナ教会
旧市街中心からミュージアム・ハウスのある丘へ行く道の途中にある。


友人との待ち合わせまで時間があまったので、トンネルの上にある見晴らしのいいカフェに行く。聖エレナ教会向かい。
そうしたら、一人だけ別のフロアへ行けと言われるし、オーダーは遅いしで、非常に不愉快な思いをした。後から来た客も同じフロアへ通されたので、満席だったのは事実のようだったけれど、あまりに放置されすぎ。もう一人の店員には無視されどおし。
ともあれ時間があまりすぎていたので、ハガキを数枚書いて時間をつぶす。
もちろんチップは払わず。

旧市街中心部

イマレット・ジャーミヤに再挑戦するがまたも閉まっている。
ジュマヤ・ジャーミヤは飲食店が両脇にある非常に繁華な入り口であることを発見。北側にある木製の階段をのぼっていくと、モスク入り口が現れる。しかし内装工事中のため、階段から中をのぞき見るだけ。
郵便局へ行き、切手を購入。郵便局入り口(西面)を入って左手が郵便物の取り扱い。右手は貯金などか。
プロブディフに着いた日に探しまくっていたツーリスト・インフォメーションを郵便局の北隣に発見する。最近建ったらしくぴかぴかの建物。中もたいへんすっきりとしていて、パンフレット2種類くらいしか置いていない。どうやらなんでも係の人に聞かないといけないらしい。ということで、明日のバスの時刻を質問すると、バスターミナルにかけて調べてくれる。インフォメーションには時刻表などは置いていないもよう。
明日はリラの僧院最寄りの街、ブラゴエフグラッドへバスで行こうかと考える。結局リラの僧院に泊まるのは諦めて、21日の午後に行き、夕方はホテルに泊まり、22日に朝からソフィアへ移動すればソフィアの観光時間をたっぷりとれると算段する。
ブラゴエフグラッド行きのバスがあるかどうか、日本では結局調べがつかなかったのだが、ブラゴエフグラッドからプロブディフへ直行バスで行ったという記述を見かけたので、おそらくあるだろうと踏んでいた。もしなければソフィアへ行って、そこからツアーに参加するなりしてもいいやと思っていた。
結局、朝7時30分と13時30分との2本があることが分かる。
じつは朝のうちにホテルのフロントにもバスの時刻を調べてもらうのをお願いしていて、それも同じ時間だった。2カ所で聞いて同じなのだから、時間に間違いないだろう。
ホテル最寄りバス停からバスターミナル行きのバスを調べたいのでバス停へ行く。早朝だと暗いので、歩いて行くのは避けたいのだが、ラッシュアワーにそこそこ大きな鞄を持って乗り込めるだろうかと心配したり。なにより、バスの間隔が難しい。乗るべき系統番号はおよそ分かった。


いったん帰宿し、一休みしてから夕食へ。
レストランで時間をかけてたくさん食べるのも飽きてきたので、24時間営業のセルフサービス店へ。料理がわかりやすいし、サラダで野菜もたくさんとれるし、旅ではセルフ式のところは重宝する。
ここはふつうに美味しくて、安くて、良かった。内容はサラダ(豆が種類豊富、他はピクルス系だが美味しい)、じゃがいもと挽肉の重ね焼きみたいなもの、パン。友人がとったチョコレートケーキを一口。お腹いっぱい。
エフティミ通りPatriarh Evtimiy St.もしくはその1本北の通りにあります。


翌日のホテルを電話で予約し、朝7時半のバスではなく、13時半のバスで出発することに変更して就寝。


旧市街の街並
  
友人が買った布

支出
ハガキ 2.2Lv
切手10枚 14Lv
食品:ジュースとパン 5.2Lv
夕食 4.4Lv

*1:まあ訛りなんてお互いさまなんだけど

*2:古い建物を使って、旧市街の丘に点在する学校。雰囲気満点で羨ましい。

6日目

raisin2006-09-19


チケット紛失

ブルガリア国内へと無事に入り、最初の停車駅へと向かう。
陸路での入国にはトラブルが多いと聞いていたので、友人に帰りの飛行機のチケットを出せるよう準備しておいてと言う。ところが探せど出て来ない。そうこうするうち、最初の駅に着き、陽気な若い入国審査管がやってきて入国審査はさっさと終了。パスポートを手にもって、列車が動き出しても、友人は寝台の上に荷物をぶちまけたままだ。
すでに日付は変わり、到着予定は朝の6時。すぐにでも眠りたい時間だが、私たちのコンパートメントでは混乱が深まるばかり。
結局、どうやら紛失したらしいことは明らかだった。紛失なのか盗難なのか、いつどこでなのか、それは一切不明。ただ飛行機のチケットが無い。
とりあえず、ソフィアに着いてからまずはエール・フランスに問い合わせ、最悪の場合は帰国便を探してチケットを買い直すということにして就寝。友人には悪いけれど、疲労困憊していたし、出入国で英語を話したり*1して、頭がぜんぜん働かない状態だったのだ。横になってすぐに熟睡してしまった。友人はそれどころではない一夜だったと思うのだが。
ソフィアについても、上等な(自分比)寝台で休んだのに、なんだか寝足りない気分。
ところでブルガリアに入れば駅もさぞかし近代化して、一目瞭然のレベルアップがあるのではないかと期待していたのだが、国境側の駅は見たところ光量が多いだけで変化はあまり感じられなかった。ソフィア駅の素っ気なさも以外だった。状況と朝の寒さが、そう思わせたのかもしれないが。


結局駅にあるEuroTourのインフォメーションで、親切にもエール・フランスのオフィスの場所を電話で確認してもらって、行き方まで親切に教えてもらって、エール・フランスのオフィスに辿り着く。ところでここで話を切り出すとこう言われたのだ。
「問題はありません。あなたが紛失したのはチケットではありません。あれはチケットのコピーです。もういちどコピーを渡すので、搭乗時にはこれを持って直接カウンターに行けばオーケーです」
そうか! 今回、あと2フライトあるのに、なんで1枚しかないのだろうと思っていたのだ。eチケット云々と言われて、「なんだかわからないけど、航空券にもeを付けるが流行なのねー」などと惚けたことを考えていた。つまり、昨年までなら完全にチケット紛失だけど、今回はチケットは電子情報として存在しているので、友人がなくしたのはあくまでその明細書なのだ。オフィスではパスポートを確認しただけで、すぐに「コピー」を再発行してくれた。あまりに簡単なので、ひょっとしたらオフィスまで来ずに、電話連絡だけとか、当日「なくしちゃった」と言ってパスポートさえ提示できれば、それでも何とかなったのだろうか。とはいえ、これをカウンターに持っていって登場手続きをしたりするし、なくてもいいものではないと思うのだが......航空券のことは正直、よく分からないや。年に1回の旅行程度じゃねえ。


さて、この時点で11時ころ。リラへ向かう予定は変更、先にプロヴディフへ行くことにする。
オフィスを出て最初に目についた銀行で両替をする。友人がここでも日本円が両替できるか訊くが、できないとの返答。まあ仕方ないかと両替していると、窓口の無愛想な女性が誰かに聞いてくれたらしく、両替できるかもしれない銀行を教えてくれる。場所を説明しようとするが、上手くいかない。二人がかりで地図を描こうとするのだが、自分の位置と目的地との位置関係が分からないまま描き出したようなへなへなな地図。こちらの人は地図が苦手とはよく聞くが、本当だったのか。やがて3人ほどになって、ものすごく時間をかけて教えてくれる。無愛想なんて思ってしまったが、とても親切だった。「分かった、ありがとう」と言って出ようとしているところへ、英語が上手な人を捜して連れてきて、さらに「May I help you?」ときた。くどいくらいに説明をしてくれました。ブルガリア人、親切!
ここで午前中の遅れを取り戻すために、早くバスターミナル、ツェントラル・アフトガーラに行かなければ。鉄道駅の横にあるので、戻ることになる。ここで一息ついた友人が、ついでだから日本円を両替できる銀行を確認しに行きたい、それでついでに両替もしたい、と言い出す。私としてはともかく今日の目的地に着いてしまいたかったし、次のバスが何時かも分からなかったので、次にソフィアに戻ってきたときにしようと説得してバスターミナルへ向かった。しかし、実はソフィアでの両替のチャンスは、このこの19日しかなかったのだ。ごめん、友人。

プロヴディフへ

急いで駅に向かい、建物の中央に掲げられている予定表を見る。どうやら30分ごとにあるらしい。思ったよりも多い。12時発のに乗りたいが、チケットをどこで購入するのか分からない。建物の中には数十のバス会社のブースがずらりと並んでいて、目当てのバスの運行会社が分からないと買えない。と、その掲示板の下にタッチパネルがあって、そこで検索ができるのを発見。内容はネットと同じ(http://tis.centralnaavtogara.bg/guide/welcome.jsp)。そこで会社を調べて、ブースに行くが誰もいない。じりじり待うちに12時を過ぎてしまう。次の12時半も同じ会社。やがて担当者が戻ってきたが、後ろを指差しあっちだと言う。首を傾げながら後ろのブースに行くとさらに後ろをさす。後ろとはつまり、外で、バスで直接買えということだった。なんだ、立派なカウンターがあるから、ここで買うのかと思ったよ。分かっていれば12時のバスに飛び乗れたのだろうか、仕方がない。
バスの下に荷物を入れ、飲み物を仕入れる(バスステーションには売店や軽食の店がいくつかあるので便利)。乗車時間は約2時間。鉄道は街の外側を走るが、バスは街中を走ることもあるので、色々な街並が見られるかと期待したが、出発地が首都なら目的地はブルガリア第2の商業都市。立派な高速道路があって、ほとんどそこを走っていた。風景はあいかわらず田園風景ばかり。


14時半すぎにプロヴディフに到着。鉄道駅そば、バスターミナルのアフトガーラ・ユクの外側で降りる。ここから街の中心部まで行かなければならない。『歩き方』にはインフォメーションのことが書いていないので、まずは鉄道駅に行ってみる。
さっそく声をかけてきたおばあさん。1泊朝食付きを17Lvでいい、と言う。安い。だが場所を訊いても、「ノープロブレム。アイムティーチャー」を連呼するだけ。「じゃあ部屋を見せてくれ」というのは通じるので見にいく。ところが場所は鉄道駅を挟んで南側。駅まで歩いて10分だ、と言い張るのだが、旧市街を観光したいし時間もない私たちには不向き。
今度は街の中央に出て、高くてもいいやとホテル・ブルガリアにあたる。ここでは1泊しか空いていないと言われる。『歩き方』にある旅行会社も全然見当たらない(そもそも1昨年に編集したと思われるので、情報がどれも古い)。本に載ってなくても、ミニホテルでも旅行会社でもなんでもいいからないかなあと探すものの、そういう時には決まって見当たらないもの。とりあえず友人を置いて探しすことにして、最初に目についたホテルに入る。最上階のアパートメントしか空いていないという。1泊66ユーロもするが、もう探すのも嫌なのでそこに即決。部屋にはダリが飾ってあって、高級感を演出しようとして失敗したような感じが安っぽくていい。広いバルコニーが付いていて、これが私的にはポイント高し。
結局部屋に落ち着いたのが午後4時ごろ。顔を洗って、朝からのせわしない一日にやっと一息つく。お昼もきちんと食べていなかった。


 


夕方に1カ所くらいは観光を済ませておきたいと思っていたので、古い民家が残る東の丘を目指す。だが『歩き方』程度の地図ではさっぱりわからず、目的地周辺に出るまでに時間がかかる。さらに、『歩き方』に掲載されているハウス・ミュージアムの場所と実際の場所がどうしてもうまく合わず、本に載っていない家もたくさんあるように思えて、とにかく地図と現在地を合致させようと歩き回る。私はきちんとした地図さえあれば間違わず歩けるのだが、そもそも地図にない道を歩いているため、位置関係が皆目分からなかったのだ。売店で市街地図を購入してやっと、本来通りたかった聖処女教会横を通って丘へのぼる道は、ジュマヤ・ジャーミヤの裏から行けばいいということが判明する。とにかく丘は着くにも歩くにも帰るにもひどく時間がかかる場所で、見所もガイドブック以上にたくさんあるらしい、と勘違いをして終わる。実際はそんなに時間が必要な場所ではなく、この誤算が翌日の行動に影響を与える。



現在位置を確認するだけで5時を過ぎてしまったので、入場時間に制限のないネベ・テベの遺跡で市街を一望し、イマレット・ジャーミヤへ行くが閉まっていた。
ちなみにネベ・テベの遺跡は市街が見渡せて、歩き疲れた身を心地よく休ませることができる。もう日が暮れかけていた時間のためか、旅行者、子供たち、カップルなどがぽつぽつといるていどでゆっくりしてしまった。ここでシベリアンハスキーを連れた家族連れがやってきていて、各国での人気を再確認。


ごはん

夕食はこの旅で初めて、きちんとレストランに入る。宿の近くにあるCyucyura。安いし、なかなか美味しい。
ここでやっと、ロールキャベツにありつけた。ブルガリアのそれは「サルミ」という。一口大に小さく巻いたものに、これでもかとサワークリームがたっぷりとかかっている。サワークリームの臭いはルーマニアと同じ。私にはサワークリームをよけて食べた方がおいしかった。

ホテル

Art Hotel Dali
スイート1泊60EUR。立地良し。
ダリをテーマとしたホテル。部屋数は各階3部屋前後で、20室以下のこぢんまりしたホテル。フロントは英語に問題なし。スイートなどでなければ、30EURほどで泊まれたはず。*2
朝食付きで、数種類のパン、数種類のジャム(瓶ごと置いてある)、フルーツ、ヨーグルト、チーズ、シリアル、ジュース、コーヒーとたっぷりある。
ただ、随所にチープ感があふれていて、私たちはそれが面白かったけれど、値段相応の部屋かどうかは考えどころ。たとえば、ベッド脇に立てかけてあるダリの絵の裏には不思議な穴が開いている(それを隠すためなら絵を固定すればいいのに)、リニューアル前の配線とおぼしきコードが壁に突き出ている、シャワーカーテンのレールの一方の釘が浮いているためレールが斜め(それがシュールレアリスムだとでも言うつもり?)、スイートはドアからさらに階段を登るのだが、階段の電気をつけると階段にしかけられた豆電球がぴかぴかと光り出し、安っぽさ満点。さらに、トイレは外に向かってガラス張りです。カーテンはあるけど。
フロントは20代〜30代でとてもフレンドリーだし、聞いたことはすぐ調べて教えてくれるのだが、所謂サービス業としてのレベルはそんなに高いわけではない。


  

シャワー室を覗ける窓。

この左側がシャワー。シャワーヘッドとヘッドをかけておくところの大きさが合っていないので、ひっかけてあるだけ。右側は単なる飾り。その右奥は段があって無駄に広々している。

支出
両替 110EUR


トイレチップ 0.4Lv
切符:トラム(1回券2回) 14Lv
切符:バス(ソフィア→プロヴディフ) 20Lv
タクシー:プロヴディフ市内 1.67Lv
パン 0.5Lv
ジュース 1.2Lv
絵はがき2枚 2.4Lv
市街地図 3Lv
地図*3 11.1Lv

*1:その実、飛行機での入出国よりも単語数は少ないくらい、あっけないものだったけど。

*2:持って帰ってきたパンフレットが見当たらないので、出てきたら追記します。

*3:各国語版の世界地図を集めているので、ブルガリア語版を購入。これがなかなか見つけられず苦労した。新学期にあわせて売っている小学生用のもの。ちなみに書店には多くの親が教科書などを買いにきていた。

国境越

記憶が曖昧だが、たしか10時ごろに国境手前の駅、ギュルギュウに停車。ここでパスポートコントロール。駅は暗くて、犬が吠え立てて走り回っている。職員が乗ってきてパスポートを回収していく。ホームを覗くと驚くほど薄暗い。そして犬、犬、犬。ホームに等間隔に並んで列車のほうを見ている。と、いきなり立ち上がって、いっせいに駅の柵へ向かって走り、威嚇するように吠えまくる。一段落すると戻ってきて、また等間隔に並ぶ。そのようすが生真面目でなんだか可笑しい。犬の横には兵隊らしき装備の人間が見える。駅のつくりも、人間の様子も寒々しいのに、犬だけ元気で数も多い。この犬、ルーマニアの至る所にいる、野良犬にちがいない。
ということで、手前2頭しか映らなかった駅のホーム。モニタによっては見えないかも。



1時間ほど停まったのち、パスポートが返却され動き出す。じきにドナウだ。
夜なので当然、河は真っ暗。鉄橋に武装兵士が並んでいると聞いていたのだけれど、それも分からず。ただ、両岸の明るさの違いは一目瞭然だった。
ルーマニア側は真っ暗に近く、ぽつぽつと見える明かりも輪郭がぼやけていて弱々しい。対してブルガリア側は明るく、たくさんの火が見える。国境近く、鉄橋近くであれだけの光が見えるなんて、ブルガリアはもう少し生活しやすそうだし、ということは旅もしやすそうだ。

支出
両替 100Lei→28EUR


昼食 46Lei
夜食のパン 0.6Lei
トイレチップ 0.8Lei
ポーター 5Lei

5日目

raisin2006-09-18

早朝7:24発の列車でブカレストへ。
当初は午前中スチャバ市内の教会など史跡を見て、昼から一息にブルガリアへと向かうはずだったのだが、先述の理由*1によりまずはブカレストへ出て寝台列車を待つことになった。教会は昨日夕方に見に行ったので思い残すことはない。時間があれば民俗博物館を見たり街をぶらついたりしてみもよかったけれど。


朝も暗い6時半に宿を出て駅まで送ってもらう。心配していたスタンドは開いていたが、どこで食べ物を入手できるか分からなかったので、昨日のうちに買っておいた朝ご飯がある。とりあえず暖をとりたいので待合室に向かう。スチャバの朝は寒い。待合室は暖房がきいているが、椅子に横になって眠りこけている男性ばかり。女性が一人もいないのはなぜ。
出発15分前くらいに3番ホームへ移動しようとしたところ、1番ホームにブカレスト行きが停車しているのを友人が発見。今回もインターシティではなく特急なのだが、スチャバへ来たときの古い車体ではなく、ぴかぴかの新しいやつである。4人向かい合わせの席だが、コンパートメントではない。物乞いはほとんど乗ってこなかった。しかしこれ、最新式の車体なのはともかく、たったの2両しかないのだ。これから6時間半も乗るというのに!*2
ところで特急よりもインターシティの方が料金は高い。スピードに関してはインターシティのほうが概してやや速いようだが、同じ区間を走るインターシティどうしでも、列車によって所用時間は30分ほども違ったりする。遅いインターシティと速い特急ではほとんど変わらないということもある。そして車体は、古いものに当たるか新しいものに当たるか、私の乏しい経験ではどちらも50%の確率である。となると、両者の区分はどこにあるのだろうか。『歩き方』では最新型はすべてインターシティかのように紹介されているが、そうではないのだ。
いつものように駅員さんに切符を見せて、確認をしてから乗り込む。
昨日買っておいたパン(チーズとレーズン入りのパイ。美味)、りんごなどを食べる。ルーマニア人が車内でものを食べている姿はほとんど見かけない。列車内での飲食はタブーなのか。駅のホームでもあまり見かけなかったような。だから満席になる前にさっさと食べてしまう。途中から乗ってきた、赤ちゃん連れの一家だけはパンを食べていたけれど。


ブカレストには14時過ぎに到着。さてここでどのように時間を潰すか、いくつか考えてみた。

  1. 時間の都合で行けなかった農村博物館か、国立美術館に行くのはどうか。荷物も預けられるかも? →月曜日は博物館類はすべて休館。
  2. インターコンチネンタルホテルだと地下鉄駅から近いし、サービスもしっかりしてそう。ここでお昼なりお茶なりをとって、時間になったらタクシーを呼んでもらって駅まで戻ってくればいいのでは。 →万事が高くつきそう。外を重い荷物持って歩き回らない点は良い。
  3. サルマーレを食べられそうなレストランに行って、ゆっくりと食事をして、あとは駅で時間を潰そう。可能ならば余ったルーマニアRONをブルガリアLvに替えよう。 →荷物を抱えて石畳を歩く決意をして、これに決定。*3


ということでガイドブックを頼りに、観光レストランなら名物料理があるだろう、通し営業もしているだろうと見込んで、Hanul Hangiteiへ行く。外の席に座ると、民族衣装を着たかわいいお姉さんがオーダーを取りにくる。
「もちろんサルマーレ、まずはこれね」「ごめんなさい、ないのよ〜」
またか!? ルーマニアでは絶対にサルマーレを提供しないのか?
ここでもやはりメニューの半分以上はできないとのこと。チョルバも始めは1種類しかできないと言っていたが、あとから現れたおばさんウェイトレスは2種類できると言う。それでどうにか選んだメニューは各自チョルバを1皿ずつ、ピクルス盛り合わせ、各自パパナシ1皿ずつ。パパナシというのはブラショフ発祥のデザートで、現地以外ではいまいちな味とは聞いているものの、もう残された時間の少ない私たちはこの店で試す以外はない。パパナシは1皿ずつでいいのか念押しされる。ひょっとして、とパパナシのボリュームが不安になる。かなりいびつなオーダーだけど、もう3時近いし、いいのだ。*4
で、そのパパナシを1個食べ終わった状態。と、友人のもの。


 


ドーナツにサワークリームとブルーベリージャムをたっぷりかけたもの、と考えればいいと思う。こってりしてて、ジャムの酸味がきいておいしいのだけれど、いやはや、1個で充分でした。ウェイトレスの忠告に気付くべきだった。


ここで友人がどうしても見たいと私一人を店に置いて骨董屋へ。*51人ルーマニアの年表などを今更読んでいた私に、店にいたルーマニア人客から声をかけられた。
車の技術者で、日本へマネージメントの勉強をしに行きたいと言う。「日本に行きたい!」と声をかけられることは海外では珍しくないので、警戒しつつ話を聞いていると、きちんと教育を受けていて、職にも就いている人のようだ。技術的な単語が絡むと英語がよくわからないので、彼の話もおおざっぱなところしか理解できなかった。東京での生活費がいくらかかるか、家賃はいくらかというお決まりの質問が出たので、日本人が暮らすのに妥当な金額を答えたら白目を剥いて驚かれた。たいてい驚かれるのは馴れっこなのだが、ここまで大仰に驚いてくれたのは久々で、むしろ申し訳ない気分になる。少し割り引いて言えばよかったのか。ということで、お約束的にメアドを交換した。*6


駅に戻り、構内にあるスーパーマーケットなどで晩ごはんを仕込む。ブカレスト・ノルド駅にはスーパーの他、売店マクドナルドやSpring Timeなどのファストフード、パン屋、ピザ屋などが充実していて、食に困ることはない。
待合室で待つうちに、6時頃にはこの旅最大の疲労が襲ってきて、眠くて眠くて仕方がない。7時26分発なのに、7時頃になっても出発番線が表示されない。チェコの列車大遅延が思い出されて不安になる。早く列車に乗ってゆっくりしたい、眠い〜。
ようやく10分ころになって表示が出る。ホームに行くと、各車両の色も型も異なった列車が停まっている。車体の色はこれまでルーマニアで見てきたものと違って、いかにも国際線らしい高級感(ルーマニア比)を感じさせる。ちょっと期待がもてるかも。いちばん端の車両外に立っているロシア人らしき車掌に切符を見せると、ずっと奥の車両だと示される。この車両にはペットボトルの水を買ってまた乗り込む少年などがいて、たぶんロシアから長旅をしてきたのだろう。
これを見て、あとからやっと合点がいったのだが、出発するこの国際列車においては、ルーマニア内の起点はおそらくブカレストなのだ。ルーマニア以前の国から乗ってきた人がスチャバあたりで降りることはできても、ブカレストまでの区間は乗車ができない。外国で用意されて切符が売られた各国のコンパートメントしか走っていなくて(だから色も型もまちまちなものが繋がっている)、ルーマニア内で切符を販売し、列車に連結する車両は、ブカレストから用意されるのだ。と思う。首都が北の端にあれば、そこから乗れたのに、南下する列車ではもう自国を出る直前にしか乗れないのだ(ま、北上する場合は逆に長く乗れるけれど)。


やっと乗れるという安堵、車両は心配したよりも悪くなさそうだぞという安心感、それに猛烈な眠気があいまって、ホームで流暢な英語で話しかけてきた人に切符を見せてしまった。この男性は車掌や鉄道職員ではなくて、要するに荷物運びだったのだが、気が緩んでたので、案内を任せてしまった。一応身分証みたいなのを提げていたし(とはいっても旅先では身分証なんて信用しないものだけど)荷物チケットは印刷されてて本物っぽい内容なので、たぶん駅に多少の場所代(?)なりを払ってやっているのだと思うが、鉄道職員であるかのように巧妙に話しかけてくる。まあ結局スムーズに乗れて、列車に荷物を引き上げるのもやってくれた*7し、荷物1つで2.5Leiってのは妥当な金額だと思うので、さっさと払って出てってもらった。普段ならひっかからないんだけど、やっぱり気を緩めてはいかんのだ。
そうこうしてなんとか列車に乗ったときは大安堵。しかもコンパートメントは二人の貸し切り。表示や装備を見ると3人は収容できるようだが、2人客の場合はそれで1室専有となるらしい。客室はきれい、シーツは清潔。中国とインドの寝台車を経験した私に言わせれば、もう極上の寝台。すぐに横になる。ちなみに1等の人も同じ車両だったようで、金銭的な相違がどこにあるのかは不明。
出発後間もなく車掌が来てパスポート確認をして、切符を回収する。切符は翌朝、ソフィア到着前に新しいものを返してくれる。途中で止まる駅もなく、間もなく降りる時点で返却される理由がよく分からなのだけれど。出発して夜になったら鍵はしっかり閉めておくように、と言われる。
ちなみに乗客は外国人ばっかり。ルーマニア人は、いるのかどうか、私には確認できなかった。英語、フランス語、ドイツ語、私たちの日本語。


国境を超えるまでは横になって、うっすらと夢の淵をなぞる。この後の衝撃を知るまでの短い安息だった。

*1:チケットがうまく買えなかった。

*2:ちなみにトイレは最新型のほうが圧倒的にきれい。

*3:私のスーツケースは車輪が大きめなので案じたほどではなかった。友人の車輪こそ大変だった。

*4:こんな時間だったからできないメニューがあったのかも、と好意的解釈を試みる。でも通し営業をする観光レストランでサルマーレがないのはねえ。

*5:この友人は骨董蒐集という高雅な趣味をもち、日本でも骨董市などに通っているのだが、その戦利品は一見したところ骨董類には見えない。古物にすら見えないこともあり、わたくしのような素人にはメイド・イン・チャイナの雑貨にしか見えないこともある。げに古物の世界は奥深い。彼女の目利きぶりは当地でも発揮され、戦利品はやはりルーマニア的特徴をなんら備えていない、素人にはそれとは分からないアンティークだった。

*6:ちなみに10月2日現在、メールは届いていない。こういう時のメアドはフリーメール。お互いGmailでした。

*7:そう、ヨーロッパの鉄道はステップを上って乗るので、ホームから荷物を持ち上げなければならないのだ

4日目

raisin2006-09-17

ヴコヴィナ地方の修道院めぐり。
朝9時に出発、17時ごろ帰宿。
ドライバーは宿のおじさん。*1

まず腹ごしらえ

朝ご飯。
・オムレツ(チーズ、塩漬け?の豚肉、ソーセージの入った卵焼き。いずれもごろっと大きく角切り。うまい!)
・パン
・コーヒー


メニューを見たときはこれっぽっち?と思って、パンも付けてもらったのだけど、パンいらないくらいお腹いっぱいになった。明日の朝もこれが食べたいけど、早朝の列車なので今日のみなのだ。残念。

修道院巡り

  1. フモール修道院
  2. ヴォロネツ修道院
  3. モルドヴィツァ修道院
  4. スチェヴィツァ修道院
  5. プトナ修道院
  6. ボグダン修道院
  7. ドラゴミルネイ修道院

「5つの修道院」からアルボーレを外して、ドラゴミルネイが加わっている。ボグダンは通り道だからついで。
とはいえこのコースはリクエストしたのではなくて、いつもこう通っているということらしい。


ところで本日は日曜日。そう、敬虔なキリスト教徒は教会に集う日である。午前中はいずこも信者でぎっしりで、一目で異教徒とわかる(推測される)身としてはちょっと居心地が悪かった。日々の信仰の邪魔をしたいわけじゃあないのですよ。
この日の朝は寒かった! 今回もっとも北にある街で、しかも山の上。この寒さのせいで、まだたっぷり残っているはずのデジカメ電池が残量不足マークを点滅させている。あわてて液晶を切って使う。新しいカメラなので馴れないうえに、ファインダーから見える画面と撮影される画面が微妙に異なる、ピントがどこに合っているか、採光計測はどうなっているのか、不明なまま写真を撮る。じつは寒さのせいで電池残量不足と表示されるだけで、暖めれば回復するのだということは後から知った。*2


フモール修道院
入場料 4Lei/カメラ持ち込み 6Lei
こぢんまりとした女子修道院
ミサの歌声が美しく響く。まだまだ朝の冷えた空気に観光客もまばらなので、異国情緒たっぷり。


 


ヴォロネツ修道院
入場料 4Lei/カメラ持ち込み 6Lei
西面に描かれた「最後の審判」が有名とのこと。ここも女子修道院。でも説教をしているのは男性なのだ。
駐車場が整備されていて、広い。駐車場の周りの土産物屋の数が一番多かったと思う。


  


モルドヴィツァ修道院
入場料 4Lei
カメラ代を負けてくれた!(二人分と言ったら、一人でいいと)
大きな所は太っ腹だ。人が多く来るから困窮はしていないということか。売っている絵はがきも今のところ、規模に比例して安くなっている。
大きくて古い女子修道院。チケットに誇らしげにりんごの絵が載っているように、金のりんご賞とやらを受賞したらしく、併設の博物館にまさに金色をしたりんごがモチーフのトロフィーが飾ってあるのだが、肝心のその賞が何の賞なのだかは不明。
前の2修道院と比べるとチケットにも色がつき、イラストが描かれ、大きく、なにかしら余裕を感じさせる。観光客もここにきて一気に増えた。
教会堂横にある修道女たちの生活している家も見る。花が咲き乱れていて可愛らしい。
ここまでの3修道院ではいずれもミサ*3が執り行われていて、そこをずかずかと礼拝堂内部に入っていくのは気が引けた。それを見て取ったか、アンドレイさんが私たちを招じ入れ、背中をぐいぐいと前へ前へと押し出す。いやあの、端っこで見ているだけで充分です。そもそも人が多くて、壁の絵もろくに見えないし。
でもミサ曲の歌声はうっとりするほど美しいし、生活に根ざした生きた宗教という印象がある。ルーマニア人は日本人が驚くほどに信仰熱心だ。
ミサを終えた偉い人(ひげ面の男性)が、白地に青い刺繍の入った典礼服(?)でさっそうと歩くのを見た。その後ろを歩く修道女は真っ黒なので、その対比も美しい。
ここの博物館には金のりんごだけでなく、エカチェリーナ2世が送ったという装飾聖書なども展示してあって見応えあり。


   


次の修道院との間で展望場所として有名な峠を通る。どうだ!と見せてくれたが、ここでなきゃ見られないというわけでもない。といいつつ、パノラマを撮ってみた。


スチェヴィツァ修道院
入場料 4Lei/カメラ持ち込み 6Lei
とても大きな修道院
礼拝が終わる時間帯になり、一般信徒の姿がまばらになる。ゆっくりと中も見られる。
昼時なので、信者と修道士が一緒に昼食をとるようだ。敷地内に積み上げてあるキャベツを女性たちが笑いながら次々と切っている光景も見られる。信者か、修道院の手伝いとかなのか。男子修道院では、女性がこまごまとした用事をこなしているのをよく見かけた。表では売店にいたり、裏では拭き掃除をしていたり。信者の奉仕活動なのか。でもそうした労働もこなしてこその修道生活なのでは?
ここも博物館が附属。英語での詳しい説明はない。運がよければ英語ガイドが他人にしゃべっている解説が横から聞ける。


   



ここを出てから、なぜかモルドヴィツァ修道院で買ったというパンをおじさんがくれる。ぎっしりと焼き込んであって、素朴なパン。素朴ながらも小麦の美味しさがある。てっぺんに修道院の紋章らしきものが焼き印で押してある。握りこぶし程度の大きさなのに、非常に腹持ちがいいパンだった。
さて、ここでいったん土産物屋さんへといざなわれる。それほど高くない。友人は小鉢を5客(も!)購入。
ここから次までの道には、とにかく可愛らしい民家が並ぶ。本当に田舎で、山の上で、辺鄙な場所なので、行き交う車も少ない。表を歩いている住民もあまり見ない。地域の文化がよく守られている場所だと思う。おそらく夜は真っ暗、街灯などない。看板もないし、欧米資本主義的なものはぜんぜん見当たらない。ちょっとした小売店も滅多に見かけないほどだ。
そんなザ・田舎に建つ家は、古いものも新築も、どれも残らずおとぎ話に出てくるような可愛らしい家ばかりだ。木造家屋で、薄いブルーやグリーン、淡いピンクやイエローに塗った壁。白くふちどられた窓。飾り彫りや、羽目板の組み合わせによって趣向が凝らされた外観。村を見渡すかぎりそんな家ばかり。どの家の庭にも窓にも花が飾られている。
車をびゅんびゅん飛ばしていた中から見ていたので、残念ながら写真には撮っていないけれど、これは日本のお嬢さんたちには非常に受けると思った。
そう、車をとにかく飛ばす。直線になると、腰を浮かせてアクセルを踏み込むのだ。そこまでしないといけない硬いアクセルなのか。癖なのか。とにかく一心不乱にアクセルを踏むのだ。でもまあそのせっかち運転をもってしてもゆうに8時間はかかり、しかも昼食をとっていないのだ。モルドヴィツァ修道院のぎっしりパンのみ。


プトナ修道院
入場料 4Lei/カメラ持ち込み 6Lei/美術館 4Lei
新しく綺麗な修道院。いや創建は15世紀とのことだから、新しくはないのか? しかし建築物はどれも歪みなくしっかりしていてきれい。
ここは男子修道院。外壁はまっさらでなにも描かれていない。内部のイコンが見所のひとつ。ちなみに内部はいずこも撮影禁止。
ここはきれいな駐車場と、きれいなトイレ(要チップ)がある。ショップでは二人連れの修道女が熱心にクロスを選んでいた。小さい所からやってきたのかな。


  


ボグダン修道院
入場無料
ラダウチの街中にある古い修道院。敷地は広いが観光客はあまり訪れないようで、他にはだれもいなかった。僧坊は大きいのに、観光客も信者もいないせいか、とても静かだった。
ボグダンとはマラムレシュ地方からここモルドヴァ地方に移ってきて、モルドヴァ公国を建国した大公の名前。敷地内にその胸像が建っている。
このモルドヴァ地方でもっとも古い石造教会で、14世紀創建。メモをとったつもりが見当たらないので、それ以上の情報は忘れてしまった。この地域に見られる東壁が湾曲していて、木造の屋根は東西ともカーブしている形だが、造形はあまり複雑ではない。いかにもこの地域の修道院の初期のものといった泥臭さが感じられる。



ドラゴミルネイ修道院
入場料 4Lei
日も大分傾いてきたころ、スチャバをいったん通り過ぎで到着。ここも女子修道院
観光客もいないので博物館も閉まっていたのだが、おじさんが修道女さんに開けてくれるよう頼んでくれた。
日本だと参道とも言うべき長い道の脇では、羊や牛が放牧されていて、夕方なので修道女がそれを追っている。入り口には宿泊可能という意味のベッドマークが示されている。本当に信仰生活を実践している場なのだなあと思わされる。
博物館の解説で分からない単語があったので電子辞書でひいていたら、修道女が興味津々で覗き込んでいた。目が合ったらにっこりと微笑んで、「クリスチャンなの?」との質問。「いえ...違うんです」「じゃあ仏教徒?」「ええまあ」。熱心に見ていたからだろうか。
友人はここでついに念願の手書きのイコンを入手する。他の修道院にはないいいものが揃っているらしい。
Anastasia Crimcaという女性が創建の祖。博物館にはこの修道女が自ら作ったという巨大な?燭がある。?燭ってこんなにももつものなのね。創建年代はまたもメモをとらず。


  





修道院入場券
上左:フモール修道院 上右:ヴォロネツ修道院
中央:モルドヴィツァ修道院
下左:スチェヴィツァ修道院 下中:プトナ修道院(カメラ) 下右:ドラゴミルネイ修道院

スチャバ市内の教会

ゲオルゲ・ノウ修道院
入場料はいらないが、日曜の夕方に行くと、これまたミサにぶつかる。
屋根の模様が特徴的で可愛らしい。ルーマニアの装飾は、美しいというよりも可愛らしさを感じさせるものが多い。


信仰

それにしてもルーマニア人は熱心に祈る。一心不乱に祈る。観光ガイドもドライバーも、教会の前を通る時は十字を切るし、教会堂・礼拝堂に入る時ももちろん頭を下げて十字を切る。熱心に祈ったりもする。
床に伏して祈っている人も大勢みかけた。教会堂に足を踏み入れたルーマニア人は、地元民ではない観光客もふくめてみな、?燭を供え、イコンに口づけ、祈る。*4

ごはん

夕方宿に戻ってから宿の人たちが食べていた家庭料理がそれはそれは美味しそうだった! それも私ならばゆうに2食分はあろうかという量が皿に載っている。いい匂いが漂っていた。基本はじゃがいもと肉とピクルス類のようだ。


ということで晩ごはんだ。今晩こそ「サルマーレ!」「ないのよ〜」。
「じゃあチョルバは昨日と違うものを...」「同じものしかないのよ〜」。
ルーマニアではいかに立派な装丁がなされ詳細な説明があったとしても、そのメニューを信用してはいけない。
・チョルバ 6Lei
・ショプスカ(シーザーサラダのような、チーズが上にのったサラダ。苦手)
・チキングリル(まあ焼いただけのチキン。柔らかくてジューシーで美味しかった)

支出
入場料 4×6=20Lei
カメラ持ち込み料 6×4=24Lei
絵はがき 0.5×2+0.7×2=2.4Lei
宿での食費 50Lei
食料:りんご、水、ジュース 4.7Lei


修道院ツアー 50EUR
2泊宿泊代 35EUR(一部屋35EURを二人で折半)

*1:ちなみにアンドレイさんという。

*2:しかし寒いとはいえまだまだ秋の気候。これでは日本の冬すら乗り切れない。これでいいのか、キャノン。

*3:ミサとは言わないのかもしれない。が、正確な用語を知らないので、便宜上ミサと言っておく。

*4:遠来の人がすべて「観光」客なのかどうかはもちろん分かりませんが。

3日目

raisin2006-09-16

今日も同じスーパーへ朝食の買い出しに。アパートメントタイプは朝食も好きなものを気楽に食べられていい。

ブカレスト市内

午前中にざっと回ってしまう。
友人がよりによって日本円で両替しようとして銀行を探すのだが、もちろん簡単には見つからない。『歩き方』には土日は銀行休みとあるが、半休で開いていたのでEURから両替をしておく。これでルーマニアでの両替はもう必要ない。
まずは大主教教会へ。1本道を間違えて遠回りする。小山の上に建っていて、雰囲気がある。


  


クルテア・ヴェケ教会→旧王宮跡横を抜けて→スタヴロポレオス教会
スタヴロポレオス教会は素晴らしい。小さいけど装飾が見事。スタヴロポレオス通りの景観もいい。


 


  


ヴィクトリア通りに戻りクレツクス教会。クレツクス教会前の公園には犬の散歩をする人がいっぱい。
この日に出かけるとき、エレベーターでアパートに在住のおばあさんとすれ違った。2匹の犬連れ(チワワとテリア系)で、私たちが犬を構っているとフランス語でにこにこと話しかけてきた。赤いベレー帽に、トレンチコート、小粋な感じのブカレストには珍しいおしゃれなおばあさん。最後に投げキッスまでしてくれた。きっとここに犬の散歩に来ていたのだろう。


 

スチャバへ

14:00にブカレストを出て、スチャバに到着するのが20:28。走行距離は450km、東京から米原くらいの距離なのに、時間がかかりすぎる。コンパートメントは6人がけ、列車は満席。隣のコンパートメントあたりに騒々しい若者の集団が乗っていて、「チャイナがいる、チャイナがいる」とか言っているのが聞こえる。
ルーマニアではアジア人自体をまったく見かけなかった。彼らにとって東洋系はすなわち中国人となるらしい。アジア系の代名詞が中国人、なのだ。にっこり微笑んで「ニ...ニイハオ?」とかぎこちなく挨拶されたこともあった。アジア人が珍しい、という印象。
この車内で、東欧映画に小心なチンピラ役で出ていそうな出で立ちまんまの人がいた。あまりにもそのまんまなので、笑ってしまう。ガリガリ、まっ黄色のジャケット、エンジと紺の太い縞模様(ボーダーではない)で襟の大きな開襟シャツ、そこに青のベスト。映画のために作り込んだ役ってだけではなくて、あんなとんでもない色の取り合わせの人が実在するとは。
半分を過ぎた当たりからどんどん空いてくる。ずっと喋り通しの賑やかなおばちゃんが降りてからは、コンパートメント内は私と友人の二人きり。周囲もそんな感じなので、かえってあのチンピラとか、押し売りとかがやってこないか不安になる。が、乗客が少なくなって商売の効率も下がるからか、物乞いも押し売りもほとんど来なかった。ルーマニアでは駅に止まるたびに、そうした人たちが乗ってくるのだ。
いよいよ車両もがらがらになり、周囲も真っ暗、駅名すら見えなくなる。時刻表ではこの列車はスチャバが終点のはずなのに、ブカレストでBotosani行きと表示されていたので、降車駅を間違えないようにと予定時刻が近づいたら必死になる。結局スチャバが終点だったのだが。
宿の人の出迎えで宿へ。街の中心へは徒歩30分くらいは離れている。
今日は宿で夕食をとり、明日は1日中修道院めぐり。これはすでにメールで頼んである。

テレビニュース

BBCやCNNで日本のニュースがばんばん流れている。何かと言えば、紀子さん出産のニュース。けっこう大きく扱われていてびっくり。

ブカレストの地下鉄

M2とM3に乗った。M3はきれいで最新式。ポリスが乗り合わせていたことも。M2は落書きで窓が見えないような車両も。汚い。ヴィクトリア広場(勝利広場)でM3からM2に乗り換えるにはホーム端にある階段から南下するホームへ移動して、そこからM2ホームへとさらに移動するのだけれど、これがわかりにくい。初めて乗った時はいったん改札の外に出てしまった。*1

スチャバのホテル

Pensiunea Leaganul Bucovinei
ツイン1泊35EUR。B&Bと書いてあるが、朝食は別料金(3/5EUR)。
要するに民宿だけれど、駅への送迎は無料、ホットシャワーは問題なし。
あたりにレストランはないので、夕食などは街へ出るか宿でとる。私たちは2晩とも宿でとった。値段はやや高め。メニューに載っていもできない料理も多い。たとえばルーマニアのスープ、チョルバは1種類しかできないし、サルマーレ(ロールキャベツ)は2晩ともないと言われた。でも料理は美味しいしたっぷりあって食べきれない。
宿は壮年夫婦と若い娘さんがきりもりしている。旦那さんのほうはフランス語がしゃべれるとのことで、奥さんのほうが英語OKなのかと思ったが、どうやら二人とも英語は得意ではないらしい。二人ともフランス語が得意な様子。*2
夕食:チョルバ(数種類の野菜、肉、パスタと具沢山のスープ)6Lei、ブコヴィナ地方料理プレート(豚肉、ソーセージ、目玉焼き、ママリガ)17.5Lei、アフィナタ(ブルーベリーのお酒。激甘)6Lei
チョルバの付け合わせで出されたサワークリームを、ヨーグルトかと思って別に食べてしまった。失敗。でもこちらのヨーグルトとよく似た味なのだ。ルーマニアのママリガはチェコハンガリーあたりにあるクネドリーキと比べて美味しく食べられる。でもお腹にたまりすぎるのは同じ。


 

支出
両替 30EUR
ブカレスト・ノルド駅への車 5EUR


朝食 
テレカ 10Lei
パン 3.6Lei
ネットカフェ 1Lei

*1:友人がね!

*2:領収書をくれと言ったら分からなかった。とぼけているのではなくて、スペルを書いてみせても「私の知らない単語だから、英語がわかる人にいま電話するから、その人に説明してくれ」と言われた。電話したら、すぐに快く書いてくれたけど、商売していてreceiptが分からないなんてありえない。

2日目

raisin2006-09-15

朝早く起きて24時間営業のスーパーに朝食を買いにいく。アムゼイ広場(Piata Amzei)に面している。この広場では朝市も出ていて、そちらで野菜や果物を買うこともできる。
パン、りんご、ヨーグルトなどを調達。りんごやネクタリンなど、フルーツがおいしい。パンはまったくおいしくない。スーパーのパンだからか。ルーマニアのパンは激ウマだと聞いていたのだが。ヨーグルトも%表示の低いものを買ったら日本のものと大差ない、ゼラチンで固めたっぽい味。

鉄道切符の購入に悪戦苦闘

今日は午前中に鉄道切符の手配を済ませておかなければならない。
明日のブカレスト→スチャバの特急、18日のスチャバ→ソフィアの寝台国際列車、そして本日のシナイアへの切符。
切符を買ったらそのままシナイアへ行く予定で、ブカレスト・ノルド駅へ行く。切符発売所は駅正面の右手と、昨日出迎えの人に教えてもらっているので迷わず行けた。まずはスチャバ行き。プリントアウトしてきたCFRの検索結果ページを見せて無事購入。
次にスチャバ→ソフィア。国際線は別窓口とのことで、駅正面に近い券売所の1番窓口へ。ところがこの切符は売れない、という。何故と聞くと面倒になったのか、旅行代理店へ行けと言われる。行ってみるとそれはIbisホテルの横にある、CFRの街中券売所。そこの国際線カウンターのおばちゃんは英語がしゃべれるのだが、やはり「ブカレストからしか列車はない」「これはセパレートでしか売れない」と言われる。どうやら車両が違うらしいことは分かったのだが、それならブカレストで車両を移ればいいだけの話かといえば、それも怪しい。
問題の列車は前日の夕方にキエフを出て、翌々日早朝にブルガリアの首都ソフィアに着くという、バルカンの数カ国を経由する列車。スチャバを12:23に出て、19:26にブカレストを出る。
じゃあセパレートで切符を買うか。まずはブカレスト発ソフィア行き。これは国際線。次にスチャバからの切符を買おうとすると、それは国内線カウンターへ行けとのこと。まあそうだろう。ところが12:23スチャバ発の列車は、19:58分着の列車しかないという。それでは間に合わない。というか、どういうシステムになっているのか、やっぱり分からない。おまけに国内線担当のおばちゃんは英語が数字くらいしかしゃべれない。結局ブカレスト以前の列車にルーマニア国内で乗るのは難しいようだと考え(トマスクックにもそんなことが書いてあったし)、予定を早めて7:24スチャバ発14:06ブカレスト着の特急に乗ることにする。


さて急いで駅まで戻り、シナイア行きの列車に乗る。指定席はもうないとのことで、立ち席券(2Lei安くなる)を持って11:30発特急に駆け込む。とりあえずお昼は着いてからだ。トイレ付きのものすごくきれいな列車なのだが、たったの2両編成。
ルーマニアの鉄道の面倒なところは、予約切符は前日までいつでも買えるのに、当日は1時間前からでないと切符を発売しないことだ。朝のうちに買っておいて、夕方の列車に乗るということができない。1時間前に行って、しかも買えるかどうかわからないなんて、不便きわまりないと思うのだが。

シナイア Sinaia

約1時間半でシナイア到着。大きな駅だが、外は殺風景。他の観光客らしい人たちの後をついて階段をのぼっていく。お昼を食べたいが、きっとペレシュ城の側になにかあるだろうとどんどん山を登る。しかしこの判断は間違っていた。カロル1世通りのあたりにしか、そんな店はないのだった。『歩き方』の地図を片手にちょっと道に迷って、なんとか城まで着く。いい加減空腹だったが、城の側のカフェテリアで甘いだけのケーキとコーヒーをお腹に入れる*1。城はツアー形式での見学とのことなので、チェコの轍を踏むまいと焦っていたのだ。*2
しかしツアーは随時行われていて、15分ほどの待ち時間で入れる。19世紀の建立なので内部は古びておらず、きれいなままだ。全体的にこぢんまりとしたスケール感。日本人に親しみやすいのは、木造部分が多いためか。チェコハンガリーの中世期から建っているような城と比較するのは間違っているかもしれないが、あちらは石造りで寒々しく、また洗練されているとは言えなかったが、こちらはもう少し暖かみがある。都会的というよりは、近代的と言うべきなのだろうけれど。
内部の写真撮影は不可。
飾ってある絵がどれも巨匠の絵画のコピーばかりなのが、辺境の国主のコンプレックスを表しているのか。とにかくふんだんに金をかけているのは伝わってくるし、小さなお城としては見応えがあるのだけれど、イギリス人に「どれもコピーばっかじゃん」と言われちゃうのも仕方なしか。
城の庭にめちゃくちゃ可愛い子犬がいた。


  

激甘のケーキ


日没前にブカレストに戻りたかったのでペリショール城をパスしてシナイア僧院へ向かう。
どこの僧院もそうなのだが、庭や窓に色とりどりの花が植えられていて、とても可愛らしい。とくに薔薇が多く目につく。薔薇なのに過剰な感じはせず、むしろ素朴な印象を受けるのは不思議だ。
快晴に高原のさわやかな空気があいまって気持ちいい。
僧院や教会の内部の撮影はどこも不可。


  

やっと美味しいパンにありつく

ICを待つあいだ、カルロ1世通りの東端にある公園でパンを買って食べる。パイ生地に、レーズンとおそらくチーズが入っているもので、これがとても美味しい! 文字で読むとチーズの味が勝ちそうに思うのだが、実際は濃厚な食感が残るだけで、レーズンの酸味とうまくあう。焼きたても美味しいし、冷めてもいける。ルーマニア滞在中、これがあれば食べていた。


17:48発のインターシティ(IC)で、行きの特急よりも高いのだが、車両がボロい! コンパートメントタイプとそうではない席とが混在していて、自分たちの席を探すのに右往左往していたら、乗客が教えてくれた。有り難い。ちょっとし大親切をちょこちょこ受けている。気軽に隣に座った人と話をするような社会だからか。自分が物心ついたくらいの子供の頃の日本みたい。
ブカレストに戻り、本屋に寄ったりしていたらどんどん時間がたつ。レストランに入るとまた時間がかかるので、ファストフードの Spring Time でさっと済ませる。この店のセルフのサラダは、酢漬けの野菜が豊富でよかった。
明日の朝食を仕入れたかったがその時間もなかった。


 アテネ音楽堂

支出
両替 150EUR


朝食 
切符:地下鉄(2回券2枚) 4Lei
切符:ブカレスト→シナイア(R) 23.1Lei
切符:シナイア→ブカレスト(IC) 28.1Lei
切符:ブカレスト→スチャバ(R) 53.5Lei
切符:スチャバ→ブカレスト(R) 53.5Lei
切符:ブカレスト→ソフィア(2等寝台) 122.94Lei
ペレシュ城入場料 12Lei
カフェ:チョコレートケーキ、カフェオレ 4.8Lei
パン2個 2Lei
ネットカフェ 1.05Lei
ルーマニア語の地図 12Lei
晩ごはん2人分 18Lei

*1:紅茶を頼もうとしたら無いと言われた。ここに限らず、多くの店で、メニューが切れていることが多かった。

*2:バスを乗り継いで11:30頃に着いたら、「もう昼休み前のツアーは受付が終わってて、次は昼休み後の13:30からのドイツ語ツアーか、14:00からのチェコ語ツアーになるけど」「英語のツアーは?」「今日はもうないわ」ということでドイツ語ツアーを予約して、近くの高級ホテルのレストランでその旅でもっとも高いご飯を食べた。そしてツアーを終えて山を下りてみたら、次のバスまで2時間もあった。余談だが、その超高級レストランにいた他の客は日本人壮年グループだった。日本円でも相当なビールやワインをがんがん飲んでいた。